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あぶないロリータ

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    2017 / 11 / 28
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ロンリーロンリーロンリーロリーロンリーロンリーロンリーロリーロリーあぶない!ロリータ~♪で始まるこの曲(・_・;)私もつい最近まで、「あぶないロリータ」だと思っていたんですが正式な曲名は、「たそがれロンリー」って言うんだってね(^_^.)今なら絶対アウトだよ><で、この“あぶない”曲を歌っていたのが「レモンエンジェル」という3人組のアイドルグループ3人組なんだけど歌っているのは実質桜井智のソロレモンエンジェル名義だけどソロ曲が多いのもこのグループの特徴(かな?)というわけで今回はこの“昭和の時代に咲いた仇花”と彼女等を取り巻いた環境(社会情勢)について語っていきたい。勿論うぃきには載ってない話も含めて(―_―)1、レモンエンジェルとは?くりいむレモンを製作したフェアリーダストは、同作の弗箱となった亜美をアイドルとして売り出し(「亜美・イマージュ~白い影~」(1985(昭和60)年12月)から)、劇場版(「旅立ち~亜美・終章~」(1986(昭和61)年6月21日)までこぎつけたことで一応の成功と見做した。この亜美の成功を糧に、当時人気絶頂だった「おニャン子クラブ」を意識したアイドルグループを計画する。そして約1年後の1987(昭和62)年夏、「くりいむレモン」イメージガールコンテストが開かれ、グランプリに輝いた絵本美希と入賞者の島えりか、そして二人が所属していた事務所が同じという縁でメンバー入りした桜井智の3人で結成されたのが「レモンエンジェル」。2、レモンエンジェルの特徴と戦略ロリータアニメのスター野々村亜美に歌を歌わせる(正確には亜美の声優だった及川ひとみ女史に歌ってもらう)ことで、「実体は無くともアイドルとして成立する」ことを知ったフェアリーダストは、アイドルとして売り出す女の子を探し、その娘たちをモデルにしたアニメを作る事に着手した。同名の深夜アニメに彼女たちを声優に使い、彼女たちの歌を劇中歌として流す。そして彼女たちとは無関係だが、同名の漫画も週刊ヤングジャンプで連載された。このレモンエンジェルの戦略は後に、アニメにおけるメディアミクス戦略、野々村亜美の試みはヴァーチャル・アイドル路線の確立に繋がっていくことになる。前述したが彼女たちにはアイドルとして歌や踊りだけでなく声優としての演技力も求められた。同時期(1987年5月~10月)にTBSラジオで放送された「こんばんは由梨香です あなたとそっとくりいむレモン」(DJは「e’tude」シリーズのヒロイン由梨香(といっても声優は亜美と同じ及川女史)でミキとエリカのオーディションの様子(声優部門)を伝えていた(のを聴いたことがある)。そして次第にこの番組も、「サンデーアニメジョッキー(1986(昭和61)年4月~7月、実質同時上映だった「プロジェクトA子」の宣伝番組。このときも亜美がメイン・パーソナリティー)」と同様に、レモンエンジェルの近況を伝える宣伝番組となっていった(元からそれが目的だったのかも)。尚、これは余談だが、この「あなたとそっとくりいむレモン」は土曜の深夜24:20~24:50だった(と記憶している)。当時私が持っていたラジカセ(SONY製「ドデカホーンCD」のCD Wラジカセだった)ではタイマー録音なんてできなかったから、放送時間まで起きているか、放送開始直前にタイマーをかけて放送時間になったら起きるとか、いろいろ苦労したが、それも良き青春の思い出でした^ ^(話を元に戻そう<(_ _)>)彼女たち3人をモデルにしたキャラを主人公にした深夜アニメ「レモンエンジェル」は、その内容の過激さ(今なら即放送中止に追い込まれるレベル)もあって人気を博し、演じる彼女たち自身も、「日本一のあぶないアイドル」として、くりいむレモンに慣れ親しんだファンたちの心を鷲掴みにした。そして、1989(昭和64)年1月7日(土)深夜(1989(平成元)年1月8日(日)、当時大人気だった深夜番組「SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族(後のいか天(「三宅裕司のいかすバンド天国」)」への出演依頼を受けるまでになった。トップ・アイドルまでもうほんの眼の前という位置にまで来ていた。3、昭和と平成の狭間で翻弄されたアイドル1)昭和天皇陛下御崩御に伴うその後の自粛ムード1989(昭和64)年1月7日AM6:33 昭和天皇陛下御崩御「天皇崩御の記者会見」の後2日間、CMも抜きにした「天皇追悼番組」が“ブラウン管”から終日(テレビ放映開始から終了まで)流れ続けた。当然の如く、レモンエンジェルが出演予定だった「SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族」は中止。1995(平成7)年1月17日AM5:46:52に発生した阪神淡路大震災で、その被害を伝える特別報道番組が発生後3日間終日放送され続けたことを憶えている人もいるだろう。当時は、この状況だったのである。そしてこれも裏話だが、この追悼番組の最中、レンタル・ビデオ店が大繁盛した。もしこれが戦前だったら“非国民”として処罰されたであろう。だが、追悼番組が終わった後も、・バラエティ番組が激減(ほぼ消滅)し、芸人の姿がブラウン管から消えた・新年会をはじめとする飲み会は一切キャンセル・祭や祝賀行事が軒並み中止に追い込まれた等々そしてこれら自粛ムードに拍車をかけたのが、今で謂うところの「不謹慎厨」こいつらの跋扈振りの凄まじさは近年における東日本大震災を遥に上回るものだった。しかも、こうした不謹慎厨の殆どは、天皇陛下の為人など知りもしない無知蒙昧なるクズ連中だったから始末が悪い。しかし、自粛ムードは天皇崩御から始まったものではなく、前年の1988(昭和63)年9月19日AM10:00頃、天皇陛下大量吐血の報道が為された後から始まっていた。御崩御前の主な事例としては、・当時星野仙一が率いる中日ドラゴンズ優勝の際、自粛ムードを考慮し、ビールかけが中止。ユニフォーム姿の男たちが、ただ集まってビールを飲むだけという異常というか異様な光景が報道された。・当時、「食う・寝る・遊ぶ」で有名になった日産A31型セフィーロの2期CFで、井上陽水が助手席の窓を開けて、「皆さん、お元気ですか?」と言う、これまた有名になったシーンがあるが、これが陛下の御病気が悪化された後、その音声が抜かれ、ただの口パクになって余計不自然な印象を与えたというのがある。更に、中日ドラゴンズは翌年の優勝パレードも中止に追い込まれている。こうした状況のなか、レモンエンジェルもまた、これまでの“お過激なアイドル活動”故に他のアイドル以上に活躍の場を失うことになる。実際、深夜の5分枠だったにも関わらず大人気だった「レモンエンジェル」も、その内容から昭和天皇吐血直後の1988(昭和63)年9月、惜しまれつつも放送休止に追い込まれている(T_T)こうした状況を考慮してくれたのか?今上天皇で在らせられる明仁陛下により昨年2016(平成28)年8月8日、所謂「平成天皇の玉音放送(生前譲位)」が行われた。最近でもタイ王国で、前国王ラーマ9世陛下(プーミポン・アドゥンヤデート;Bhumibol Adulyadej)が2016年10月13日御崩御あそばされた。現地では1年もの間、喪に服す(但し、全公務員及び国営企業従業員、政府機関職員に限る)とされているが、多くの国民がこの動きに賛同するというもし自らが天皇の座に居座り、昭和天皇同様に崩御による退位をすれば、不謹慎厨たちによる“不謹慎”な行動により自粛ムードが広がれば日本経済に悪影響を及ぼすのは必至であるこれを鑑みた行動だとすれば、賢明(な御判断)という他は無い。2)自粛後に待ち受けた更なる悲劇更にレモンエンジェルを窮地に立たせたのが宮崎勤とその事件の余波宮崎勤とそれが起こした事件については、http://ecchi.iwara.tv/videos/g08vbcwlzoso8vr9rhttp://ecchi.iwara.tv/videos/qa3e0ieklzcrx0mrohttp://ecchi.iwara.tv/videos/8zvd4fqjk2cldz9k2http://ecchi.iwara.tv/videos/98rk3uqy7yczkwydpでも語っておりますが、宮崎勤が起こした事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、1988(昭和63)年8月22日~1989(平成元)年7月23日)と、レモンエンジェルの活動期(1987年~1990年)が被っていることに注目してみました。特に1989年以降に始まったアニメや漫画への規制、おたくと呼ばれる人種へのバッシングと、それまで右肩上がりだったレモンエンジェルの人気に急激に陰りが見え始め、解散に至る時期が妙にマッチしてるんですよねぇそれまでくりいむレモンに準ずるほど(一応当時のTV局の倫理基準をクリアしていたみたいだが)過激な性描写をウリにしていた深夜アニメ「レモンエンジェル」と、その勢いを駆ってパンチラ路線で当時の男子中高生(中には小学生や大学生、更にはその上も)の心を鷲掴みにしていたレモンエンジェルだったが、宮崎事件の報道が伝わる度にメディアの注目(雑誌やTVの仕事)も激減。3)レモンエンジェルが奈落の底で見たものとは?こうした逆風のなか、最年長でリーダー的存在であった(でも活動の中心にいたのは桜井智)ミキこと絵本美希が1989(平成元)年9月に体調不良を訴え離脱。それ以降一切姿を見せずそのまま引退。グループも、桜井の高校卒業を理由に1990年解散ということになりましたが、エリー(島えりかと思われる人物)によると、パンチラ路線を突き進む桜井に絵本が異を唱え、桜井と衝突した末に脱退したそうで、グループ解散の理由も、桜井の高校卒業による解散というのも表向きで、絵本脱退後も二人で活動していた島えりかも桜井の考えに終にはついていけなくなり解散に至ったらしいです。これは本人の言い分(かあるいはそれに近い人物の又聞き)らしいのですが、本心は本人しか分からないので、どこまでが真実かは分かりません(信憑性はありますが)。確かに解散の真相については三者三様の言い分も御座いましょうが、昭和天皇御崩御による自粛・宮崎事件の余波の影響は否定できないはずです。また、昭和天皇御崩御による自粛が避けられなかったとしても、もし仮に、宮崎事件が起きなかったら(宮崎勤という存在が無かったなら)、世間のバッシングも無く、TVの倫理基準が規制されることもなく、レモンエンジェルが純粋に過激路線を突き進み、そのまま人気も上昇したままだとすれば三人はどうなっていたことでしょう?アイドル路線からアダルト路線へ順当に変更するのは予想がつきます。そして、より過激さを増した彼女たちが、MMDのセックス・ダンス宜しくステージ上でハメたままBGMに乗せてアへ声を歌代わりにしてたりして\(≧∨≦)/これはあくまでも私の想像(妄想?)ですが(・_・;)4、レモンエンジェル後の桜井智桜井智はレモンエンジェル解散後、年長の二人が芸能界を引退する一方で唯一芸能界に残る道を選びました。レモンエンジェル時代から女優(舞台)への夢を語っていたようですが、結果として活躍の主な舞台は声優でした。本格的な声優デビューは、「ドラゴンリーグ」らしいのですが、私が声優桜井智を最初に観たのは、「赤ずきんチャチャ(マリン役)」。ちなみに主題歌はブレイク前(国民的アイドルになる前)のSMAPが歌っており(「君色想い」)、メンバーの香取慎吾がメインキャラクター「リーヤ」を演じています。この「赤ずきんチャチャ」はミュージカル版も制作され、桜井も本人役(マリン)として出演しているが、当時23歳。ミュージカル版「赤ずきんチャチャ」でリーヤを演じるは当時ジャニーズJr(Musical Academy)のメンバーだった秋山純14歳。このミュージカル版は、1995(平成7)年2月10日から3週にわたってTVアニメ放送枠で放送されていたので運良く視聴することができました。劇中の印象的なシーンとして、主要なメンバーが敵に捕まり、何故かリーヤとマリンが二人だけで牢獄へ入れられる。元々リーヤにベタ惚れなマリン。「もうここから出たくない♡」とリーヤに抱きついたままのマリンに、嫌がるリーヤなのだが、嫌がってる演技をしなきゃいけない秋山がどうみても照れてるようにしか見えない><設定では同学年だが、中身は14歳の少年と23歳の成熟した大人の女(桜井は童顔だが)。14歳の少年が、23歳の成熟した大人の女性に演技とはいえ抱きつかれては当然の反応といえなくもありません。まさに、「リアルおねショタ」^ ^そういう意味においては、後に放映された「エヴァンゲリオン(1995年10月4日~1996年3月27日)」の碇シンジと葛城ミサトの関係にも同じ臭いを感じるのだが(事実、同人誌の世界では多くの碇シンジ×葛城ミサト本が出回ったし)。「おねショタ」が流行り出したのもこの時期。宮崎のおかげで、幼女(あるいは少女)と大人の男性のカップリングが「けしからん!」となったとき、「だったら小さな男の子ならどうだ!?」と逆の発想で生まれ、その後大した規制も無く、気がつけば一大ジャンルとなっていました。と考えれば、おねショタを流行らせた張本人は宮崎勤と言えなくもない(のではないでしょうか?)この後、「マクロス7」(1994(平成6)年)10月16日~1995(平成7)年9月24日)のミレーヌ・フレア・ジーナス、「怪盗セイント・テール」(1995年10月12日~1996年9月12日)の羽丘芽美などで一時期は人気声優の地位を確立していましたが、昨年2016(平成28)年9月1日、突然の引退発表。レモンエンジェル解散後、孤軍奮闘してこられたようですが、彼女もまた芸能界を去る一人と相成りました。BGMたそがれロンリーPerformed by Lemon Angel(レモンエンジェル)Andノックはいらない instrumental versionおくびょうなプリンセス humming version