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全裸海女㊙レポート~淫乱若妻海女千恵

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    2022 / 07 / 02
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私の名は末浦千恵(まつうら ちえ)
話は今から2年前まで遡ります
私は東京のホテルのフロントで受付嬢をしていました
夫になる隆さんはこの頃、有名機械メーカーの技術職をしていて、私の勤務するホテルをよく利用してくれていた縁で知り合い、2年の交際期間の末、めでたくゴールイン
私は寿退社して専業主婦となり、隆さんを一生支えていく決意を固めた矢先
新婚旅行から帰って1ヶ月もしないうちに、「隆さんのお父様が倒れた」という一報が届きました
お父様の病名は、「脳卒中」ということでしたが、離島という環境もあり、処置が遅れたこともあり、本土への輸送途中でお亡くなりになったということです
私たちは急遽、葬儀のため隆さんの御実家のある天島に向かったのです
隆さんの実家である末浦家は、天島(あまのしま)という離島で代々海女漁を営んでいて、天島の海女漁は、
「夫婦海女(ととかかあま;女(妻・母・姉妹・娘)が海に潜り、男(夫・父・兄妹・息子)が命綱を引っ張り、引き上げる)」と言われる漁法で、お父様が御逝去された今、その“引手”がいなくなったことで、お母様の範子さんは、その役目を息子の隆さんに継いでもらいたいと申し出てきたのです
ですが、最初は隆さんはその申し出てを頑なに拒みました
隆さんは島での生活や末浦家の時代錯誤ともいえる古いしきたりに反発して家出同然で島を出て行った過去があったのです
ですが、お母様や周囲の粘り強い説得もあって、海女漁を継ぐことになりました
当然ですが、それまで勤めてきた会社は退職
私も隆さんに連れ添うかたちで天島へ移住
私は家業の海女としてこの島で暮らすことになったのです
と、ここまでは普通のUターンですが、ここから予想だにしない出来事に直面します
海女になる決意をした翌朝、突然義母は私たちの目の前で全裸になったのです
現在、現存する他地方の海女は、ウェットスーツやレオタードを着て漁をするそうですが、ここ天島の海女は、褌さえ着けずに海に潜るというのです
海女漁は今から約1,200年前に始まったとされますが、その当時の海女たちは全裸で海に潜り、その後、「サイジ」や「磯褌(いそべこ)」と呼ばれる海女用の褌を着用したと言われていますが、ここ天島ではそのような海女用の褌が“開発”されることなく最古の姿のまま現代に至るまでになりました
当然、私も全裸で海女をしなければなりません
海女の修行の最初は、人前で全裸になることから始まるのでした
「さっさとおし!」
義母からの激しい催促が始まります
昨日までの優しい物腰の義母とはまるで別人のような振舞です
私は仕方なく服を全部脱ぎましたが、恥ずかしさからどうしても隠してしまいます
それを見た義母は、
「手をお退き!さっさとしな!」
恫喝めいた義母の声に私は観念して手をどけます
私の肌に初夏の一陣の風が撫でてきます
そして、その風が私の生い茂ったマン毛を揺らしました
「へぇ、なかなかいいモン持ってんじゃないのさ」
これは後で聴いた話なのですが、女性のマン毛、つまり陰毛は「海の幸」を模すとされ、島の繁栄と豊漁のシンボルとされ大変な縁起物とされた
そして、陰毛の濃い女性は家に幸運をもたらすとされ、大変縁起がられていた
そんなこともあり、島の女性たちは挙って自身の陰毛を伸ばし、やがて陰毛が濃いことが美人の条件(のひとつ)となった
私の陰毛を見た義母は、それまでの態度が一変、急に優しくなった
これ以来、義母の全面的なサポートを得ることができた千恵は天島で海女を続けられる一因となった
そして2年が経った現在
私は末浦家の海女として、夫は私たち海女を支える男衆(おとこし)として毎日を過ごしています
この間、私たちは貴大(たかひろ)という子宝にも恵まれましたが、その後も夫婦仲は良好で、週に2度は夫婦の営みを持ちます
そんなある日のこと
私は漁が終わって夕食を終えると、花街(かがい)へ向かいます
花街(かがい)とは、天島唯一の繁華街で、昼間は閑散とした雰囲気ですが、陽が落ちるとその姿は一変し、看板には光が灯り、ネオンが妖しく輝く退廃的な雰囲気を醸し出すようになります
それらの妖光を放つ元は、昼間、旅館として営業していた建物です
天島の旅館は、表向きは普通の旅館ですが、夜になると売春宿へと様変わりします
私もそのネオンの中に消えていきます
そして・・・
「お待たせしました」
「おおっ!待っとったよ、チエちゃん」
今夜の私のお相手は、王野さんと言って、よく私を“指名”してくれる、島外からやってくるお客様だ
最近は月一でこの島を訪れている
「やっぱ、えぇ臭いするなぁ~ 漁終わった後のマンコの臭いは格別じゃて
せやかて、他の海女さんのも嗅いだことあるけど、チエちゃんのがやっぱ最高や」
私はいつもの通り、寝てる王野さんの顔面に騎乗し、むき出しの小陰唇を王野さんの鼻先に押し付けます
それを王野さんは嫌がるどころか、寧ろ喜んで嗅いだり舐めたりしてきます
因みに今夜の夫は、組合の寄合(飲み会)があるとかで、遅くなるはずでした
「ウィ~ 今帰ったぞ~」
ガラッ(家の戸を開ける音)
どうやら私より先に夫が帰ってきたみたいです
「ちょっと!貴大寝てるんだから、そんな大声上げると起きちゃうでしょ!」
夫を玄関で迎えたのは義母の範子だった
隆「ウィ~・・・ 千恵はどうしたんだ?母さん」
範子「あの娘は・・・ 天女(アマメ)さんの“お手伝い”に行ってるよ」
隆「アマメ? あの売春海女か・・・ もうあんな・・・ いかがわしいことには関わるなって言っただろ!? 知ってるなら何故止めなかったんだ!?」
範子「アレもこの島の立派な御勤めだよ。あたしたちは“こうやって”生きてきたんだから。お前だってそれを知らないわけじゃないだろ」
隆「ったく!母さんは嫁(千恵)に甘いんだから・・・」
と、ぶつくさ文句を言いながら自分たちの寝室にふらふらとした足取りで向かう隆
天島の島民は総じて、島で行われている売春行為については寛容な雰囲気があった
その理由は大きく分けて2つあった
一つには、天島の気候風土が関係してるのかは定かではないが、天島の出生率は男女比で約3:7の割合で、男児が産まれ難いという傾向は江戸時代以前から続いているという
その子らが成長して大人になるとどうなるか?
相手(男)にあぶれるか、父無(ててな)し子を産むかのどちらかであった
だが、江戸時代に入ると、江戸上方(現在の大阪)間に廻船が行き交うようになり、天島はその中間地点に位置することから、時化(しけ)台風の通過待ちや退避に利用されたり、漁船の性能が向上したこともあり、本土から約30km離れているにもかかわらず、漁船が漁の途中で立ち寄ることも多くなったという
ただでさえ血気盛んな船乗りや漁師が何日も女日照りの生活を強いられている最中に、いきなり若い女たちが裸で目の前をうろついていたらどうなるか?
女に飢えた男たちと男にあぶれた女たち
何も起きないはずがなく・・・
天島の海女たちの中には、島外から来た船乗りや漁師たちの子を孕むものも少なくなかった
そんな天島の海女たちの噂を聞きつけてやってくる男たちも少なくなかった
彼女たち目当てで江戸や上方からやってくる男たちも多かったのである
彼らを慰めたのも海女たちだった
海女たちは、漁の合間に遊女のようなことも行い日銭を稼ぐようになり、やがて、彼らを相手に売春を生業とする者も出てきた
そんな遊女に成り下がった女も、姿(外見)は海女と同じ全裸で“接客”したことが好評となり、「天島の遊女は全裸」が定着し、今日まで続いている
また、範子自身も父無し子として産まれ、母親も海女をしながら島外の男たちを相手にしていたのを見ていた経験から、無意識に売春を容認していた
範子の世代で、彼女と同じ境遇で育ったという島民は多いことや、現在では島の産業(財政)は、漁業(海女漁)以上に観光(と性産業)が占める割合が大きくなっている
これが二つ目の理由である
「ただいま~」
私が“夜の御勤め”から帰ってきたのは日付が変わる深夜
もう家族は全員寝静まっている頃合いです
寝室には夫が背中を向けて寝ていました
でも、その背中は何だか寂しそうに見えました